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ミセスコンテスト、挑戦と心の葛藤

f:id:naoko2018:20190117145337j:image皆さんは、ミスコンテストやミセスコンテストに参加したことがありますか?

私は43歳にして初めてミセスコンテストに出場しました。それまでのモデルの経験といえば、メイクアップスクールのメイクコンテストのモデル、雑誌のコスメ紹介の読者モデル、子供たちが生まれた時の赤ちゃん雑誌の親子読者モデルをした事はありました。思い返せば、大学生の時に関西某市の「○○の女王」だったと思いますが、そういった地場産業の PRアンバサダーのようなものの選考会に出て、最後の 10人ぐらいに残りました。一人一人が笑顔でウォーキングが最終選考でした。モデル事務所に所属している子が横でいきなり顔筋体操をし始めてニッコリと顔を決め、見たこともないようなかっこいい歩き方をしたのに驚いた記憶があります。

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オーディションの経験は、過去にアナウンサーを目指していたので面接やカメラテストは何度もあり、いわゆる負け慣れ経験者です。当時は、東京のアナウンススクールに通いながら、既卒者採用枠のアナウンサー試験を受けるため、全国各国の採用オーディションを全国行脚しました。北は北海道から、南は四国まで、オーディションを受けまくっていました。一人一人カメラテストがあり、最終面接で落ちることも少なくありませんでした。各局のオーディションを回っているメンバーは、同じ東京のアナウンススクールのクラスメートでもあり、友達と自分のどちらが採用されるかを競い合うことになってしまったため、だんだんとその友達は私を避けるようになり、採用面接の会場で会っても私に目を合わせようともしなくなり、私の気持ちを曇らせていました。そのような、女子アナの面接争いを切り抜けて、都内のケーブルテレビ局に就職したのですが、この採用面接で感じた事は、自分が全力を尽くしても、会社が採用したいと思う人物でなければ採用されないと言うことでした。会社のニーズと自分が合っていなければ、自分がたとえ優秀であったとしても、それは認められないのです。なぜこのようなことを感じたかと言うと、採用面接の時にテレビ局のスタッフ側から、自分が清楚にしていたつもりでも、「年より老けて見えるから、もっと若く見せたほうがいい。自分をよりよく見せることをもっと研究して」言われた上に落とされたことがあったのです。テレビ局は、その局の方針にもよりますが、年齢の若い子を採用する傾向が昔からあります。 20代半ばにして、老けて見えると言われてしまうとそれはショックで、すぐに美容室に行き髪の毛を短くして茶色に染めた記憶があります。イメージチェンジを試みたのです。髪の長さや色でも雰囲気はガラリと変わりました。若く見せる工夫をした結果、他の局ではありますが採用して頂いたので、やはりそれこそが、テレビ局に求められている私の外見だったのではないかと思っていました。

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就職に大変苦労した過去の出来事もあって、ミセスコンテストに対する思いは冷静に構えているところもありました。とはいっても、コンテストに出場するにあたり、初春から準備を進め平日はウォーキングのレッスンを受けたり、コンテストテスト対策講座を受けたり、土日は子供の世話を主人に任せ、やるべきことに全力で取り組んできました。自分はコンテストでグランプリを獲得したい、と思っていても、もしかすると、審査員側はこのようなイメージのこういった人物を採用したいと思っていて、自分がそのイメージに合わなかったりすれば、自分がいくら努力をしたとしてもそれが認められない場合もあるのではないか…ということです。それはそれで、全力で頑張り自分の積み上げてきたことと、選ばれる選ばれないは一線を引き、仕方がないと割り切なければいけない部分ではないかと思っていました。今までのアナウンサー試験の経験から、自分で全力を尽くしたという「自己肯定感」と結果は思い通りにならないので「いつでもすんなり現実を受け入れるマインド」の2つを持ちながら、私はミセスコンテストに挑みました。

 

ミセスクィーン2018では、地方大会で面接とウォーキングと英語の審査があり、また全国大会では、自己紹介動画審査、社会問題を取り扱ったプレゼンテーション動画の提出、自分のプロフィールホームページの作成、そして全国大会前日にお題が出され提案型のプレゼンテーションを行い、ウォーキングの審査も行うというものでした。

 

ミセスコンテストで受賞したい自分、何も受賞できないかもしれない、という相反するような思いが常に頭をよぎります。自分はミセスコンテストに挑戦するのが初めてで、コンテストで100%以上の自分を今ここで出すにはどうしたらいいかということを考えていました。受賞できるできないは別にして、自分が自分に納得できる今までで1番良いパフォーマンスができて、自分が持たされた2分間のスピーチでどれだけ多くの人にメッセージを伝えることができるかということに集中していこうと思いました。「自分が発するメッセージは、誰もが聞く価値あるものにする、そうでありたい」という少し傲慢な思いもありました。会場内にいらっしゃる観客の中の1人でも多くの人の心動かすようなパフォーマンスにしていきたい、という一心で全国大会に臨みました。

 

他の出場者の方々のスピーチやウォーキングは素晴らしく、プロフェッショナルの方もいらっしゃり、とても素人の私では追いつかないレベルだなと感じました。また皆さんとても話が上手で、私は緊張しすぎことを覚えています。意欲に満ち溢れた女性リーダーの方々を目の前にし、誰がグランプリを獲得してもおかしくありませんでした。皆さんの生き様や努力に圧倒されていたので、このような素敵な女性の皆さんにお会いできたことに感謝するという気持ちで帰宅しました。また憧れであった、鹿野幸子代表のお顔を近くで拝見できただけでも充分だと思ってしまいました。同じ人間とは思えないほど美しい方で、お話しするのにも緊張ばかりしてしまっていました。

 

大会の翌日結果が発表されましたが、「発表されました」という事務局からのメッセージが来た後、私は自分でホームページの結果欄を見ることができませんでした。自分で結果を知ることが物凄く怖かったのです。久々のジャッジメントに心が敏感に反応しすぎたのでしょうか。英検や大学入試の試験結果でしたら、大体事前に自分の手ごたえがわかるので、ホームページを見たり封筒を開ける時の心構えというものがある程度決まってきているのですが、こういったコンテストでは心臓が飛び出るほど結果を知ることに恐れがあり、思わず主人にメールで今結果が出たみたい、自分は緊張しすぎて見ることができないと連絡をしてしまいました。

少し経って、夫からメッセージがあり、EAST SEAの日本代表グランプリを獲得しているよと書いてありました。これを聞いたとき、また今までに感じたことのないとても不思議な気持ちになりました。なぜなら、日本代表として更なる次の道が開かれたことで、またより一層の自分磨きを続けなければいけません。2人の小学生を育てている子育て真っ最中の私にとっては、時間管理が最大の課題でしたので、自分が世界大会に行くまで、自分を最大限に高めるとともに、色々とやりくりや家族の協力を得る必要があります。

 

私の両親は、コンテスト出場に断固反対していましたし、夫の両親には内緒でコンテストを受けていたので、世界大会に行くとなると、いよいよみんなを納得させられるような話をしなくてはなりません…。結果をどう受け入れてもらえるか、それが不安でした。

 

昨年のグランプリ・日本代表の野口美穂さんから少しは世界大会に関する情報や主催者のDr.Tracyさんの女性擁護活動について話を聞いてはいたのですが、ほとんど最近英語を使わなくなってしまった自分が未知の世界旅行に突入する姿をしっかり自分の中でイメージ化するためには、さらに準備努力が必要だという焦りの思いに駆られてきました。

世界大会が開催される11月に向けて、未知への冒険の準備と戦いが始まったのです。